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県民投票について…自分たちの大事は、自分たちで決める。住民自治の基本です
■東海第二原発の再稼働についての県民投票
県民投票を実施するには、その前提として、地方自治法第74条により条例の制定・改廃の直接請求を行い、茨城県議会が「県民投票条例」を制定することが必要です。これには、まず、有権者の2%以上の署名が条件となりますが、ここでは、民主的な地方自治制度をつくるには、県民投票が何故、大切なのかを整理します。
■民主的な地方自治制度は、直接民主主義により強化される
「自分たちにとって大事なことは、自分たちで決める」というのは、民主的な諸制度の原則です。しかし、地域でも会社でも、「俺には何の話もなかった、俺の知らないところで決まった」という会話をよく耳にします。住民投票は、平たく言うと「お前も話に加われ、お前も一緒になって決めろ」という制度です。
では、何故、何の話もなく、何の相談もなく決められてしまうのでしょうか。それは、私たちは代表選挙において、県知事や県会議員を選びますが、これらの代表者が法律に基づき、条例や予算を決める権限を持っているからです。この代表選挙において、私たちは条例や予算などを決める権限を包括的に委任しています。この代表選挙では、候補者の公約による政策もありますが、候補者の人柄なども含まれており、何もかもが一緒になってある候補者を選択せざるを得ません。
ところが、私たちが生活する地方自治体においても、極めて大事なことがあり、その賛否が地域社会や人の生き方を左右する場合がありますが、それが代表選挙では論点にならない、あるいは数多くの論点の一つになり埋没してしまうことが通常です。そこで、論点を絞り、つまり個別の案件だけをテーマにして住民が投票する、意思表示をして政策を決めていく場合があります。これが住民投票です。住民投票の結果は、主権者である住民の総意ですので、知事や県議会は最大限に尊重しなければなりません。
そして、代表選挙によって住民の意思を反映させる間接民主制度と、個別の重要案件を住民投票によって決定する直接民主制度の二つが合わさって、民主的な政治制度は強化されていきます。代表選挙の時だけの有権者=主権者ではなく、個別の重要案件の決定者=主権者という機会があってこそ、主権者としての実感と責任が湧いてくるのです。ある政治学者は、危機にあって決定するものこそが主権者であると定義しています。自分たちにとって、大事なことが「蚊帳の外」で決まるようでは、私たちは主権者とはいえないでしょう。
※日本では、法律で定められた主な住民投票として、①憲法95条の「一の地方公共団体のみに適用される特別法」の制定 ②市町村合併特例法による合併協議会の設置 ③地方自治法76条~85条による議会の解散、市長や知事の解職 の3つがあります。
※アメリカをはじめ、スイス、ドイツ、韓国、フランス、イタリア、イギリス、スウェーデンには、憲法、法律に基づく住民投票制度があります(総務省資料)。アメリカの場合は大統領選挙や中間選挙に合わせて行われます。既に3000件以上の事例があり地方自治制度として定着しています。
※フランスの貴族、政治学者のトクビル(1805~1859)は、「アメリカの民主政治」で、「ニューイングランドの人々は、なにか起こるたびに、すべての人々が集まって討議するようになりました。これがタウン・ミーテングの起源です。」と述べています。日本では「樫の木の下の民主主義」と訳され、地方自治の教科書では、地方自治のあるべき姿とされています。
■住民投票の意義や効果、住民の利益は何か
時間と費用をかけて住民投票を行う意義はどこにあり、私たちの利益になるのでしょうか。
- 実際面の意義
- 政治的な意義
東海第二原発について考えれば、事業者である日本原電からは、①安全面 ②経済効果 ③市民生活上の利益など多くの資料が広報・提供されます。また、再稼働の同意、不同意を迫られる茨城県からは、①安全面の検証 ②避難計画 ③地域経済面の利益などが広報・提供されるでしょう。さらに、再稼働の同意・不同意について協定している6町市も考え方を表明するでしょう。そして、再稼働に反対する様々な団体からは、論点を絞った広報チラシなどが配られるでしょう。いろんな立場から課題が鮮明になった資料が配布され、私たちの判断、意思決定に不可欠なデータがそろうことが、第一の意義です。第二は、原発や政治的なことについて、日常生活の中で、気軽に自由な会話できるようになることです。関心がない、難しいなどと言っておられず、日常生活の一部に取り入れることになります。トクビルがみた「タウン・ミーテング」です。第三は、決定の過程が明確になり、その結果として責任の所在がスッキリすることです。あれやこれや議論する必要がありません。いわば、ノーサイドです。
付け加えれば、行政(知事、市長)や議会は、自らの政策、事業に自信と責任を持っているはずですが、住民投票で検証されるとなれば、緊張感をもって仕事を行うでしょう。
これらは、2015年(平成27年度)に行われたつくば市の「総合運動公園の建設可否」の住民投票で実証済みといえるでしょう。
「事前に話もなく、決定に参加する場もなければ」、関心が無くなるのは当然です。政治離れ、選挙離れ、投票率の低下は、「排除されているという感覚、何を言っても変わらないという感覚」が広がっているからです。住民投票の第二の意義は、民主主義の再生、政治の再生でしょう。「自分たちの大事は、自分たちが決める」という、そもそもの第一歩を取り戻す、このような経験を何度も行うことで、「政治は自分たちの日常生活にあるもの、身近かなもの」になってくるでしょう。
「地方自治は民主主義の最良の学校(ジェームズ・プライズ、英)」と言われてきましたが、直接選挙=住民投票という最も大切な教材が欠けたままでは、一人前の成人が育っことはできないでしょう。